高麗郷民俗資料館
お知らせ
企画展「ひだか歴史名勝展パート2」を開催中です。
高麗郷民俗資料館のご案内
民俗資料は使い終わった古い道具ではなく、当時を知り、良い部分を新しい生活へ生かす原点となるものです。日高市では市民の皆さんが大切に保存してきた民俗資料を市の歴史を物語る貴重な財産として保管しています。
民俗資料館では、この中から農業、林業そして漁労に関する資料を展示しています。ほかに古代高麗郡集落ジオラマの展示や企画展を開催しています。日高に生きた先人の歩んできた生活をご覧ください。

高麗郷民俗資料館の建物は、昭和37年に建築された旧高麗公民館です。

巾着田から「あいあい橋」を渡ると高麗郷民俗資料館が見えてきます。
常設展示
1階

養蚕から機織りの道具
日高で発明された桑葉扱機も展示しています。

製茶の道具
茶摘みから製茶までの道具を展示しています。
「土そして汗」が展示のテーマです。市内で盛んに行われていた「稲作」「畑作」「養蚕」「茶」を取り上げて、民具という歴史の証人を使った展示を行っています。

日常生活で使われていたちゃぶ台、火鉢、おひつ、さまざまな食器などを用いて、昔の居間と台所を再現しました。
2階

川での漁の道具

林業の道具
「山河の恵み」が展示テーマです。高麗川で古くから使われていた投網、箱めがね、ヤス、筌(うけ)などを用いた漁法を紹介しています。また、市内西部に広がる山林で、昔盛んだった林業や炭焼きなどを紹介しています。
古代高麗郡集落ジオラマ
続日本紀(しょくにほんぎ)に、霊亀2年(716年)に東国7か国に住む高麗人1799人を武蔵国に移住させて高麗郡を置いたと書かれています。平成28年(2016年)に建郡1300年を迎えました。
発掘調査により高麗郡に関係するさまざまな資料が出土しています。中でも高麗郡の役所に関連する重要な資料が、高萩地区の拾石(じゅっこく)遺跡、王神(おうじん)遺跡、堀ノ内遺跡から発見されています。
これらの発掘調査の成果を基にした、古代高麗郡に関する「古代高麗郡集落ジオラマ」を制作しました。
ぜひご覧ください。


企画展示「ひだか歴史名勝展パート2」
「ひだか歴史名勝展パート2」ただいま開催中
市の文化財や名勝をPRするため、歴史、民俗、自然、人物などの分野から認定した「ひだか歴史名勝」60選は、本年3月、新たに5件を加え65選となりました。
認定したひだか歴史名勝は、地域やテーマごとに「地域ミュージアム物語」と題した21編の地域物語として、特設ページにて紹介しています。
今回はパート2として、高萩地域を中心に、「地域ミュージアム物語」第17編、第21編の資料を展示しています。
ぜひご覧ください。
地域物語第17編「高麗郡の遺跡 日高歴史トピック」
奈良時代、日高市に一大歴史トピックが起こります。「日本書紀」に続く歴史書「続日本紀」の元正天皇霊亀2年(716年)に高麗郡を建郡する記述が認められます。高麗の地名があること、日高市、飯能市に弥生、古墳時代の集落が希薄であることなどから両市を中心とした地域に高麗郡が置かれたと考えられています。
「続日本紀」の記述に対応するように、両市において奈良時代、平安時代の集落が爆発的に増えます。日高市では、東部を流れる小畔川に沿う地域で連綿と集落が営まれるようになります。
−拾石遺跡、王神遺跡−
小畔川の北側から日高高校周辺にかけて広がる集落です。区画整理事業に伴い広範囲で発掘調査を実施し、8世紀中ごろから10世紀にかけての竪穴住居跡や掘立柱建物跡、井戸跡の他、道路跡、水田用の水路跡も見つかり、集落の姿がわかる貴重な発見となりました。
また、ここ数年の間に日高高校の西側で実施した発掘調査で、これまで旧日本陸軍の飛行場だった旭ケ丘地内からも、多くの竪穴住居跡や掘立柱建物跡が見つかりました。

王神遺跡5区
中央手前側が発掘調査区です。白い線で縁取られたものが竪穴住居跡や掘立柱建物跡です。中央奥の建物は日高高校です。
王神遺跡11区
11区、12区は、日高高校の西側で実施した発掘調査区です。この調査で、日高高校の前を通る道路より北側にも集落が広がることが判明しました。
竪穴住居跡、掘立柱建物跡が重なり合って見つかりました。
王神遺跡11区調査区全景(上が北)
王神遺跡12区
写真手前側中央が発掘調査区です。奥に見える緑色の屋根の建物が武蔵高萩駅です。
調査区から多くの竪穴住居跡と掘立柱建物跡が見つかりました。特に全景写真左上の部分は激しく重なり合う様子が認められ、繰り返し建物が建てられていたことが分かります。

王神遺跡12区調査区全景(上が北)

発掘調査から復元した拾石、王神遺跡
鳥形硯(王神遺跡)
鳥をかたどったすずりのふた(羽根)の破片です。鳥や羊など動物の形をしたすずりの出土は、大変珍しく貴重な発見です。

2号水路跡(拾石遺跡)

墨書土器「厨(くりや)」(拾石遺跡)
拾石遺跡と王神遺跡では、小畔川に並行するように水路跡、道路跡が見つかっています。水路跡からは多量の墨書土器が出土し、土地に関わる文字、人名などさまざまな文字が書かれていました。「厨(くりや)」の文字もその一つです。
「厨(くりや)」とは、現在の役所にあたる「郡家(ぐうけ)」の中で食事を作る施設です。「厨」と記された土器は施設で使われていた備品の可能性があり、注目すべき出土品です。

左:巡方(じゅんぽう)・右:丸鞆(まるとも)(拾石遺跡)

腰帯具(ようたいぐ)を着用した役人の姿
巡方(じゅんぽう)や丸鞆(まるとも)といった腰帯具(ようたいぐ)は、役人が身に着けるベルトに装着するものです。これらの遺物の出土から、集落に役人がいたことが考えられます。
若宮遺跡(女影廃寺)
県道川越日高線の「女影」交差点付近にあると考えられている女影廃寺(おなかげはいじ)は、8世紀に創建された奈良・平安時代の寺院です。はっきりとした位置は、まだ分かっていません。遺跡から出土したと言われる面違複弁八葉蓮華文軒丸瓦の年代から、高麗郡建郡から間もなく創建されたと言われています。この瓦は、常陸国新治廃寺と同じ木型(版)から作られたもので、新治廃寺創建後、女影廃寺を建てるために版を移動したと考えられます。版の移動は国家の意思が働いていることから、女影廃寺は郡の寺だったと思われます。
寺院に関する建物跡は見つかっていませんが、土壙(どこう)や溝跡から瓦など多くの遺物が出土しています。瓦のほか「寺」、「僧」と書かれた墨書土器も見つかっています。

瓦が出土した土壙(どこう)
若宮遺跡出土遺物
地域物語 第17編「高麗郡の遺跡 日高歴史トピック」はこちら
地域物語第21編「新たな時代を切り拓(ひら)くー開拓の歴史ー」
昭和になると市の東部では食糧増産のため、新たな土地の開墾が行われました。今のようなブルドーザーやトラクターのない時代、開墾は想像を絶する困難の連続だったと思われます。
市内には開拓の記念碑が4か所に残っています。刻まれた言葉に、当時の苦労が忍ばれます。

耕地整理竣工記念碑
耕地整理竣工記念碑(栄新田)
昭和5年、鶴ヶ島町屋耕地整理組合の延長として高萩村外二ヶ村耕地整理組合が発足します。昭和9年から8百町歩となる開墾が始まります。初代組合長は高麗川村長だった加藤与之吉の名前が刻まれています。
開墾事業は昭和31年に完了しました。
作物は葉ものを中心に甘藷(サツマイモ)、陸稲(おかぼ)、ウリ、キュウリ、ナスなどを東京へ出荷していました。スイカは「高麗鶴」のステッカーを貼って出荷していました。
開拓記念碑
開拓記念碑(高麗川新宿)
もとは高萩村外二ヶ村耕地整理地内でしたが、陸軍による高萩飛行場の接収で東西に別れたため、西側が高麗川新宿地区となっています。昭和9年入植が開始されました。
作つけは、陸稲(おかぼ)や小麦、サツマイモ、スイカなどを東京市場へ出荷しました。
この碑は、開拓者たちの心のより所である報徳神社の境内に建てられています。報徳神社は当初石碑でしたが、昭和25年現在の社殿となり、昭和32年現在の地に移りました。

開拓碑
開拓碑(旭ケ丘)
昭和20年8月、陸軍飛行場として使用されていた土地は、終戦後緊急食料増産対策により開拓地として開放されました。面積は六十余万坪に及びます。12月に高萩飛行場開拓団を結成し、高萩村、高麗川村の次男、三男および復員軍人、被災者などが飛行場西側から入植を開始しました。
昭和23年、開拓団を旭ヶ丘開拓農協に改組し、昭和27年には国の開拓完了検査に合格しました。そして、昭和44年開拓農協は解散しました。
ジャガイモ、トウモロコシ、サツマイモ、カボチャ、粟などを作つけしていました。
昭和28年伊勢神宮から勧請した旭ヶ丘神社を創建、その地に開拓碑が建っています。

開拓十周年記念碑
開拓十周年記念碑(高富)
高萩村、水富村、柏原村にわたる民有林164町あまりを国が買収し、昭和22年、三村の次男、三男44戸で開拓団を組織します。旧村名にちなみ高富ヶ原と命名します。昭和23年に七峰帰農組合員が加わり開拓農業共同組合を設立しました。昭和32年3月開拓成功検査を受けました。
当初の作付けは陸稲、サツマイモ、スイカ、ジャガイモ、ウドなどでした。
地域物語 第21編「新たな時代を切り拓く−開拓の歴史−」はこちら
ミニ展示、若宮遺跡出土「五芒星墨書土器」を紹介します
文化財ニュースで取り上げた若宮遺跡の発掘調査から、トピックになる遺物を紹介します。
「五芒星(ごぼうせい)」をご存じですか?
五芒星は、陰陽道や修験道で五行(ごぎょう:木・火・土・金・水)を象徴する星の形をした記号で、中国大陸や朝鮮半島を通じて伝わったものです。安倍晴明も使っていたとされています。
五芒星墨書土器が出土した27号住居跡

出土時の状況
発掘現場で五芒星の墨書に気づいたものもありますが、多くはフィールドでの調査終了後の土器を洗う作業中に見つかりました。27号住居跡から出土した五芒星の墨書土器は11点となりました。これだけまとまって見つかることは非常に珍しいことです。

大きく太く書かれた五芒星

小さく細く書かれた五芒星
五芒星を観察してみると、書きかたに違いがあることがわかりました。大きくて太いものと小さく細いものがあり、2人以上の人により書かれたものかもしれません。
出土例が増加し、出土状況、書かれた年代や筆跡などが詳細に比較、分析できるようになれば、古代の人々の考えかたや行動に近づけるかもしれません。
利用案内
住所
日高市大字梅原2
電話
042-985-7383
交通
JR高麗川駅下車、徒歩30分
もしくは、飯能駅行き「高麗小学校前」下車1分、西武池袋線高麗駅下車、徒歩15分
もしくは、高麗川駅・埼玉医大行き「高麗小学校前」下車1分
(注釈)当館には駐車場はありません。車でお越しの際は高麗公民館駐車場または巾着田駐車場をご利用ください。

開館時間
午前9時から午後5時まで(最終入館は、午後4時30分)
休館日
月曜日(祝日と重なる場合は開館し、火曜日が休館)
国民の祝日の翌日(曼珠沙華まつり期間は開館)
年末年始
入館料
無料
臼と杵(きね)の貸し出し
資料館収蔵の臼と杵(きね)を、市民に無料で貸し出します。貸し出し希望の人は開館日に上記へお電話ください。
更新日:2025年09月12日