広島市平和記念式典児童派遣
広島市平和記念式典に参加しました
戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代に伝えていくことを目的に、市内6小学校代表の6人が広島市平和記念式典に参加しました。
8月5日に広島市の平和記念公園を訪れ、原爆の子の像に日高の子どもたちが平和を願って折った千羽鶴を捧げ、亡くなられた方のご冥福を祈りました。
平和記念資料館では、被爆者の遺品や写真を見学し、ひとびとの命を奪う戦争は絶対あってはならないこと、平和の尊さを実感しました。
6日は平和記念式典に参列しました。式典には世界80か国の代表を含むおよそ5万人が参列し、原爆が投下された午前8時15分に黙とうを捧げました。続いて平和宣言、平和への誓いが行われ、恒久平和への思いを強く感じた式典でした。
19日には参加報告会を開催し、2日間で体験したことや、平和の大切さを将来にわたり伝えていくことを発表しました。
広島市平和記念式典
原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するため、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)前において、原爆死没者の遺族をはじめ、市民多数の参加のもとに平和記念式典が挙行されています。
式典の中で広島市長によって行われる平和宣言は、世界各国に送られています。
次第
- 開式
- 原爆死没者名簿奉納
- 式辞
- 献花
- 黙とう 平和の鐘
- 平和宣言
- 放鳩
- 平和への誓い
- あいさつ
- ひろしま平和の歌(合唱)
- 閉式
広島でわたしたちが感じたこと
荒井 優花さん(高萩小)
一番心に残ったことは原爆ドームです。大きくて丈夫な建物が、たった一発の原子爆弾でボロボロになってしまった姿から、原爆の恐ろしさを強く感じました。今でも核兵器が作られていて、その威力が原爆の千倍もあるという話も聞きました。
どうすれば核兵器を作る国を減らせるのか、みんなが平和に暮らせるにはどうしたらいいのかを考えることができた体験でした。この学びを今後に生かしていきたいと思います。
浅野 大和さん(高根小)
ぼくが広島に行って心に残ったのは、広島平和記念資料館でした。その中でも、原爆の力によってボロボロになった服や、原爆が落ちた8時15分で止まった時計を見て、とてもショックを受けました。戦争はたくさんの人の命を奪う恐ろしいものだと本当に感じました。ぼくはこれらの資料を見て、戦争や、原爆の使用はもう二度とあってはならないと思いました。
今回この事業に参加して、戦争のことが勉強でき、良い経験になりました。
大野 鋭さん(武蔵台小)
1945年、8時15分、広島に原子爆弾が落とされました。原子爆弾は周りの民家を火の海にし、大勢の人が亡くなりました。
その中で一人生き残れた方がいました。その方はたまたま原爆が落ちたとき、地下へ荷物を取りに行ったそうです。10分、いや5分の間に生死が分かれるなんて…。平和に慣れた私には全く想像がつきません。ただ、平和ボケと言われてもその方が幸せだと思います。今回勉強できたことを幸せに思います。
中畦 心桜さん(高麗小)
今回の派遣事業をとおして強く感じたことは、平和は当たり前ではないということと、平和について話し合うことの大切さです。私たちが今、平和に暮らすことができるのは、戦争によって多くの悲しみがあった中、あきらめなかった人たちのおかげだと思います。今を平和だと思えるのは、平和ではなかった昔があったからだと思います。
一人一人が平和について話し合うことが、平和を未来につなぐバトンリレーの第一歩だと思いました。
中野 祐太さん(高麗川小)
広島へ行き感じたことは、今後絶対に核兵器を使用してはならないということです。資料館などを自分の目で見てみると、そこには平和な今では想像できないような苦しみがありました。核兵器のように大きな力を持つ兵器は、ぼくたちのような小学生も犠牲にし、それは72年たった今でもおじいさんたちを苦しめています。
核保有国の権力者は広島に行き、その苦しみを知るべきだと思うし、ぼくたち広島を見てきた人は、覚えておく必要があります。
高鳥 愛奈さん(高萩北小)
私がこの事業に参加したいと思った理由は、今まで怖くて向き合ってこなかった戦争に向き合えるいい機会だと思ったからです。この事業をとおして戦争を忘れてはいけないと思いました。そして、次の世代に伝えていくことが大切だと思います。
また、世界のひとびとにも核兵器で悲惨な目にあった人たちのことを考えてもらいたいです。
世界中のひとびとと手を取り合って、核兵器のない平和な世界を作っていきたいです。
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更新日:2018年12月19日