埋蔵文化財調査報告書

埋蔵文化財調査報告書

日高市内には現在約190か所の埋蔵文化財包蔵地(遺跡)が所在しています。これら遺跡の発掘調査の結果、日高の歴史を知るうえで欠かせない貴重な資料が多く見つかっています。

発掘調査の成果は「埋蔵文化財調査報告書」として公開しており、図書館などで閲覧が可能ですが、より多くの人に利用していただけるように、一部の報告書をインターネット上でも公開しています。

下記リンクの奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」からご覧ください。

昭和4年に埼玉県で最初に竪穴住居跡が調査され、昭和26年に国史跡に指定された高麗村石器時代住居跡周辺の確認調査報告書。周辺に30軒以上の住居跡が保存されていることが確認された。史跡整備の基本資料となる報告書。

若宮遺跡は古代の寺院である女影廃寺を含む奈良、平安時代の遺跡。住居跡5軒などを検出。古道遺跡からは奈良、平安時代の住居跡1軒を検出。

縄文時代中期後半の住居跡7軒、奈良時代の住居跡1軒などを調査。縄文時代の住居址から三角壔形土製品(さんかくとうがたどせいひん)が出土した。

奈良・平安時代の住居跡44軒、掘立柱建物跡6棟、道路跡1条、水路跡2条などを検出。「厨」の墨書土器が出土したことで注目の遺跡。このほか「家長」などの多量の墨書土器、漆紙、耳皿や丸鞆(まるとも)、巡方(じゅんぽう)などの腰帯具など、役人の存在を示す資料も出土した。王神遺跡とともに古代高麗郡の中心地と考えられる遺跡。

拾石遺跡の西に広がる奈良・平安時代の遺跡。竪穴住居跡14軒、掘立柱建物跡1棟、道路跡1条、水路跡1条などを検出した。鳥形硯が出土。道路跡、水路跡は拾石遺跡から続く。古代高麗郡の研究に多くの資料を提供した注目の遺跡。

これまでに住居跡200軒以上を検出している市内最大の縄文時代中期の遺跡。今回は遺跡西端の調査で、縄文時代中期中葉、勝坂期の住居跡3軒、調理施設である集石土壙1基を検出。

宮久保遺跡はこれまで縄文時代の竪穴住居跡や、奈良・平安時代の竪穴住居跡などを調査している。遺跡内に鎌倉街道伝承路が通っており、今回の調査は鎌倉街道伝承路に隣接する地点の調査。鎌倉街道よりも古い奈良・平安時代の道路跡を9条検出。

奈良・平安時代の竪穴住居跡2軒を調査。特筆すべきものとして、五芒星(ごぼうせい)を墨書した土器が出土した。五芒星を墨書した土器自体珍しいものだが、今回の調査では1軒の竪穴住居跡から合計11点出土しており、非常に興味深い調査事例となった。

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更新日:2024年02月08日