県指定文化財
聖天院応仁鰐口(しょうでんいんおうにんわにぐち)工芸品 所在地 日高市大字新堀990甲
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聖天院応仁鰐口(しょうでんいんおうにんわにぐち)工芸品 所在地 日高市大字新堀990甲
中世の鋳物師渋江満五郎の作で、室町時代の応仁2年(1468年)の鋳造です。両肩には吊金具を懸けるための耳を持ち、直径は21.1センチメートルをはかります。裏表に銘が彫られています。
表
久伊豆(ひさいず)御宝前鰐口 願主衛門五郎 武州崎西郡鬼窪郷佐那賀谷(さながや)村
裏
大工渋江満五郎 応仁二年戌子十一月九日
女影ヶ原古戦場(おなかげがはらこせんじょう)旧跡 所在地 日高市大字女影444
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女影ヶ原古戦場(おなかげがはらこせんじょう)旧跡 所在地 日高市大字女影444
建武2年(1335年)滅亡した鎌倉幕府最後の執権北条高時の遺児時行が、鎌倉を取り戻そうとして挙兵しました。女影ヶ原で足利尊氏の弟直義が派遣した軍と戦いました。北条軍はこの後、小手指ヶ原(所沢市)、分倍河原(府中市)でも戦って破り、ついには直義自ら出陣してきた武蔵井出ノ沢(町田市)にまた敗走させました。一時は鎌倉を占拠しました。この一連の戦を中先代の乱といいます。
町田家文書(まちだけもんじょ)古文書 個人所蔵
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町田家に伝わる14通の中世古文書。観応元年(1350年)から足利尊氏、直義の兄弟の対立による観応の擾乱が始まりました。当初は足利直義についていた高麗経澄(こまつねずみ)が、足利尊氏に転じて軍功を上げた高麗経澄、季澄(すえずみ)の様子が記されています。南北朝から室町時代初期にかけての平姓高麗氏(へいせいこまし)の動向を知る上で貴重な資料です。
高麗神社本殿(こまじんじゃほんでん)建造物 所在地 日高市大字新堀833
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高麗神社本殿(こまじんじゃほんでん)建造物 所在地 日高市大字新堀833
高麗神社の高麗王若光(こまこきしじゃっこう)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、武内宿禰命(たけうちすくねのみこと)の三柱(さんはしら)を祀っている社です。社は室町時代後期の建立と考えられており、切妻造で平入。身舎の前方に庇を付けた形式の一間社流造(いっけんしゃながれづくり)です。屋根は桧皮葺(ひはだふ)きで、身舎柱(しんしゃばしら)と向拝柱(ごはいはしら)は禅宗様式の造りです。
更新日:2017年03月01日