郷土の偉人

高林 謙三(たかばやし けんぞう)

製茶機械の父 日本で初めて製茶機を発明

高林謙三は製茶に関するさまざまな機械を発明し、特許を取得しました。明治31年に開発した「高林式茶葉粗揉機」は革新的な製茶機械でした。それまでは手もみでお茶づくりをしていましたが、だれでもお茶づくりができるようになり、大量生産も可能となりました。このことにより、お茶を身近なものにするなど茶業業界の発展にも大きく貢献しました。原理は、現在の製茶機械にも受け継がれており、まさに、製茶機械の父と呼ばれるゆえんです。

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略歴
天保3年(1832年) 入間郡平沢村(現日高市)に小久保忠吾と喜久の長男健次郎として生まれる
安政3年(1856年) 入間郡小仙波村(現川越市)で医院を開業
文久3年(1863年) 川越藩侍医となり、小久保健次郎から高林謙斎に改名
(明治元年に謙三に改名)
明治2年(1869年) 茶園を開いて茶の生産を始めるが、手もみ製茶の限界を感じ製茶機械の
発明を構想
明治18年(1885年) 7月に特許条例が施行され、特許第2号「生茶葉蒸器械」、
特許第3号「焙茶器」、特許第4号「製茶摩擦器械」(民間人としては
最初の特許)、特許60号「改良扇風機」を取得
明治19年(1886年) 特許第150号「茶葉揉捻機」を取得
明治31年(1898年) 特許第3301号「茶葉粗揉機」を取得
明治32年(1899年) 高林式茶葉粗揉機を松下耕作と静岡県掛川市の工場で製造、販売を開始し、
全国に普及、手回しから動力へ改良が進む
明治34年(1901年) 70歳で永眠、墓碑は川越市喜多院

桑田 衡平(くわた こうへい)

アメリカ、イギリスの医学書を翻訳・出版した医学者

明治の初め、アメリカの医学書を翻訳し「内科摘要」という本を出版した。今でも使われている病名の多くはこの本が始まりともいわれています。また、翻訳した多くの本は医学の教科書として使用され、明治初期の医学の発展に貢献したといわれる人物です。また、兄(高林謙三)にも影響を与えた人物です。

略歴
天保7年(1836年) 入間郡平沢村(現日高市)に小久保忠吾と喜久の次男衡平として生まれる
安政2年(1855年) 医学を学ぶため江戸に出て、坪井信道からオランダ医学を学ぶ
安政6年(1859年) 桑田立斎の長女と結婚、杉田玄瑞から医学を学ぶ
文久2年(1862年) 江戸で医院を開業
明治3年(1870年) 「袖珍薬説」を翻訳・出版
明治4年(1871年) 大学東校(現東京大学医学部)翻訳専務
明治6年(1873年) 「内科摘要」を翻訳・出版
明治9年(1876年) 「病理新説」の翻訳・出版
明治38年(1905年) 72歳で永眠。墓碑は谷中霊園
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更新日:2024年01月12日