地域物語 第11編「1300年の歴史を伝える高麗神社」

更新日:2026年04月28日

国指定重要文化財「高麗家住宅」と 1300 年の歴史を伝える高麗神社

今から1300年前、高句麗こうくりから日本に渡ってきた人々を集め高麗郡が建郡されました。この時のリーダーとして伝わる高麗王若光こまこにきしじゃっこうを主祭神とし、導きの神である猿田彦さるたひこ武内宿禰たけうちのすくねを合わせた三神を祀っています。

こまじんじゃ

高麗家23代純秀は大峯修行を行い、以来修験道しゅげんどうを信仰します。明治時代になり神仏分離令しんぶつぶんりれいで修験道が禁止され、第56代大記の時に神職に復職、高麗神社として今に至っています。

歴史名勝No26「高麗家住宅」 国指定文化財(建造物)

こまけじゅうたく

高麗神社宮司ぐうじ家の居宅として使われていたもの。屋根は入母屋いりもや造りの茅葺かやぶき間取まどりは古四間取りという形式で、「奥座敷おくざしき」、21畳の「表座敷おもてざしき」と「へや」そして「土間どま」から成っています。東日本の民家でも極めて古く、江戸時代前半(17世紀)の建築と考えられています。

歴史名勝No27「高麗神社本殿」県指定文化財(建造物)

こまじんじゃほんでん

一間社いっけんしゃ流れ造り、屋根は檜皮葺ひわだぶきの本殿は、木鼻きばなの絵様、向拝こうはいの柱の型式と天文21年(1552年)の棟札むなふだから、室町時代後期のものと考えられています。

歴史名勝No28「野田宇太郎詩碑」

野田宇太郎のだうたろう詩碑

野田宇太郎のだうたろう

(野田宇太郎文学資料館提供)

(注釈)人物写真の無断転用はご遠慮ください。

国指定重要文化財高麗家住宅こまけじゅうたく(歴史名勝No.26)の北側に、野田宇太郎のだうたろうの「家系図」という詩を刻んだ碑があります。野田宇太郎が、高麗神社の宮司を務める高麗家に伝わる家系図(市指定文化財高麗氏系図こましけいず)に着想を得て書かれた作品です。

野田宇太郎は明治42年(1909年)、福岡県三井郡立石村(現在の福岡県小郡市)に生まれました。昭和5年から詩人としての活動をはじめ、「旅愁」(昭和17年出版)がベストセラーになりました。昭和26年の「新東京文学散歩」に始まる一連の作品は、文学作品の舞台を実地踏査し紀行文に著す「文学散歩」という分野を拓きました。

また、野田の出版編集者としての功績も大きなものでした。多くの作家たちと交流を持ち、三島由紀夫や幸田文こうだあやを見出したことでも知られています。

民俗学者である折口信夫おりくちしのぶが「やまかげに ししぶえおこる ししぶえは こまのむかしを おもえとぞひびく」、歌人加倉井秋をかくらいあきをは「引き獅子や 昏れをうながす 笛と風」と詠い、坂口安吾さかぐちあんごは昭和26年12月号の文藝春秋に「高麗神社の祭りの笛」を書くなど、文学者や歌人は高麗を題材に作品を残しています。

高麗のもつ歴史が創作意欲をかき立てるのでしょうか。

高麗神社に伝わる文化財

だいはんにゃきょう

大般若経だいはんにゃきょう(国指定文化財(典籍))

高麗家23代麗純れいじゅんの5男、慶弁けいべんが修行した栃木県足利市の鶏足寺けいそくじで鎌倉時代、建暦元年(1211年)から7年かけて模写した経典です。県内の中世写経を代表するもので、456巻が保存されています。

こましけいず

高麗氏系図こましけいず(市指定文化財(歴史資料))

高麗王若光の長子家重から46代良賢までの名前が記されています。巻頭にある前文は一部が欠落していますが、霊廟れいびょうを建て若光を高麗明神として崇めたことや勝楽寺しょうらくじ創建の由来が書かれています。

しゃりょうきしんじょう

徳川将軍社領寄進状とくがわしょうぐんしゃりょうきしんじょう 市指定文化財(書跡)

天正19年(1592年)徳川家康が交付した朱印状しゅいんじょうと2代秀忠以降の将軍が交付した朱印状計12通が指定されています。社領3ごく寄進きしんすること、不入ふにゅうけんを認めることが書かれています。

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