地域物語 第9編「高麗びとの聖地−大寺廃寺−」

更新日:2024年03月21日

歴史名勝No19「大寺廃寺」

市指定文化財となっている東西3けん、南北3けん礎石そせき(柱を置く石)がひっそりと来訪者を出迎えます。

おおてらはいじ

大寺廃寺 東西3間、南北3間の礎石建物跡(市指定文化財)

大寺廃寺おおてらはいじは8世紀前半に建立こんりゅうされ、毛呂山町との境となる毛呂丘陵の標高 90から100メートルにあります。現在も上大寺、下大寺の地名として残っています。現地踏査や確認調査の結果、礎石そせきを伴う建物跡たてものあと5棟、中世の遺構いこう1棟を検出しました。 創建そうけん復弁8葉軒丸瓦ふくべんはちようのきまるかわらが平城京の瓦と類似することから8世紀前半と考えられています。 この瓦の出土から大寺廃寺の建立に中央政府との関りを持つ人物が関わっているとも考えられています。坩堝るつぼに付着した金属にはヒ素の含有量が高く、高い鋳造技術ちゅうぞうぎじゅつを持った工人こうじんがいたことも分かりました。

大寺廃寺出異物

おおてらはいじしゅつどいぶつ

大寺廃寺出土遺物(市指定文化財)

遺物は軒丸瓦のきまるがわら軒平瓦のきひらがわらなどのほか鬼瓦おにがわらも見られ、 のきに飾る青銅製風鐸せいどうせいふうたく坩堝るつぼなども出土しています。

おにがわら

鬼瓦

ふうたく

青銅製風鐸

塔の屋根の角に付けられた飾りです

歴史名勝No20「高岡窯跡」(埼玉県選定重要遺跡)

たかおかかまあと

古代高麗郡の窯跡 −高岡窯跡たかおかかまあと

高麗川左岸、日和田山麓の高岡地区に平安時代の瓦陶兼業窯がとうけんぎょうようである高岡窯跡があります。昭和30年に東京大学古代史談話会によって窯跡1基が調査されました。窯は半地下式無階無段の登り窯で、全長約7メートル、最大幅1.5メートル、確認面からの深さ70センチメートルをはかります。時期は9世紀第4四半期だいよんしはんきと考えられ、須恵器すえきつき、椀などの供膳具きょうぜんぐ、瓦類が焼かれていました。

軒先を飾る軒平瓦の同文が武蔵国分寺むさしこくぶんじや坂戸市勝呂廃寺すぐろはいじから出土しており、両寺院との強い結びつきが伺えます。また当窯跡で焼かれた瓦が高麗川駅西側の常木久保つねきくぼ遺跡、武蔵高萩駅北側の拾石遺跡じっこくいせきからも出土しており、高麗郡内の集落へ流通していることも明らかとなりました。現在は畑に埋め戻されています。周辺には他にも窯跡が眠っていると考えられます。

今はなき古代高麗郡の寺院−高岡廃寺−

たかおかはいじ

高岡廃寺たかおかはいじは、聖天院の北西、日和田山麓丘陵緩斜面に位置していた古代寺院跡です。小字も「ケシボウズ」と言います。昭和50年にゴルフ場建設に伴う発掘調査が行われ、建物跡たてものあと4棟、方形ピット遺構、石組遺構いしぐみいこう特殊遺構とくしゅいこうなどが検出されました。出土瓦から8世紀中葉ちゅうように創建され、11世紀初頭まで続いていたと考えられます。この寺院は創建時期が高麗氏系図こましけいずに見られる、天平勝宝3年(751年)に高麗じゃっこうの子である聖雲しょううんが師僧勝楽しょうらく菩提ぼだいのために建てた勝楽寺にあたり、現在の聖天院勝楽寺の前身と考えられています。出土遺物は日高市指定文化財になっています。

高岡廃寺出土遺物

たかおかはいじしゅつどいぶつ

高岡廃寺出土遺物

たんべんろくようのきまるかわら

単弁六葉軒丸瓦たんべんろくようのきまるがわら

たしこ

多嘴壺たしこ

周辺の文化財

どうそじん

道祖神どうそじん

清流地区にあるこの道祖神は、弘化2年(1845年)に建てられました。道標も兼ねており、右面に「毛呂、おごせ」と彫られています。行路の安全も守ってくれる神様です。

かつてゴルフ場が出来るまでは、毛呂、越生方面と飯能方面を結ぶ「飯能道はんのうみち」が通り、道の分岐にこの道祖神があります。

たかおかはいじをのぞむ

道祖神の前の道が毛呂、越生へ抜けるかつての峠道です。山上に高岡廃寺がありました。

たかおかどうひょう

左側の道標どうひょうは昭和7年(1934年)

正面 越生□□ヲ経二テ毛呂に至ル約8000米

裏面 坂戸道 新堀ニシテ約1000米

吾野道 清瀧ニシテ約100米

と彫られています。

右側は天保2年(1831年)の馬頭観音ばとうかんのん

たかおかこうしんとう

庚申塔こうしんとう 文化5年(1808年)

正面に青面金剛しょうめんこんごうが彫られ邪気じゃきを踏んでいます。下段に三猿が彫られています。

左手には法輪ほうりん、弓、右手には刀、矢を持っています。

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