地域物語 第3編「大地が語る日高の歴史」
歴史名勝No5「巾着田」
苅場坂付近を源流とし、外秩父山塊の谷中を流れてきた高麗川は高麗本郷付近で関東平野に出ます。ここは高麗川扇状地の扇頂で、自由蛇行によって生まれた湾曲の流れをその形から「巾着田」と呼び市民に親しまれています。南北幅約700メートル、東西幅約500メートル、くびれの部分で幅約300メートルを誇ります。秋に咲き誇る曼珠沙華の圧巻の赤は、日和田山を背景に市を代表する風景です。
飯能礫層約250から290万年前の堆積

高麗川の流れは高麗丘陵を侵食し長大な崖線を生み出しています。ドレミファ橋西側では「飯能礫層」の大露頭(赤い丸の場所)が見られます。
崖をよく観察すると礫層・砂の層・シルト層が堆積しています。礫層が「飯能礫層上部層」とされています。飯能礫層は奥秩父あるいは奥多摩から供給されたと考えられています。
歴史名勝No6「高岡層」
日高の地名が付いた高岡層 −栗坪の不整合−
獅子岩橋上流約200メートルの高麗川右岸にある高さ7から8メートルの段丘崖に、長さ50メートルにわたり明瞭な「不整合面」があります。この不整合の下の面は今から約1億年前、中生代白亜紀中頃の「高岡層」、上の面は約180万年前、更新世の「飯能礫層下部層」で、上下の層でかなりの時間差があります。この時の隔たりのある層の堆積を不整合と言います。
時代を決定する化石である有孔虫「オルビトリナ」、石灰藻「ペテロフィトン」の有数の産地が日高市高岡地区であることから「高岡層」と命名されました。
獅子岩橋から上流の眺め
獅子岩橋の上流の岩場には橋名の由来となった獅子岩がありましたが、欠けてしまって現在獅子の形は見ることができません。
更新日:2024年03月21日