地域物語 第2編「日和田山とデーダラボッチ伝説」

更新日:2024年03月21日

ひわださん

日和田山にはさまざまな石造物せきぞうぶつを見ることができます。日和田山の山頂と女坂おんなざか途中の岩場には宝篋印塔ほうきょういんとうと呼ばれる供養塔くようとうがあります。日和田山は信仰の山だったと考えられます。

歴史名勝No2「日和田山の宝篋印塔(新塔)」

しんとう

山頂にある大きな宝篋印塔ほうきょういんとうは享保十年(1725年)に建てられたものです。

山頂の宝篋印塔を新塔しんとう、中腹の宝篋印塔を古塔ふるうとうと呼び分けています。

歴史名勝No3「日和田山の宝篋印塔(古塔)」

ふるうとう

日和田山の中腹、女坂の途中の岩場には宝篋印塔の一部が残っています。貞和四年(1348年)(貞和は北朝年ほくちょうねん)と掘られています。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)とは?

宝篋印塔とは、供養や墓石として中世ちゅうせいから造られた石塔です。宝篋印ほうきょういん陀羅尼経だらにきょうを収める塔が名前の由来です。下から「基礎きそ」「塔身とうしん」「かさ」「相輪そうりん」の4つの部位からなります。

日和田山にあるその他の石造物

のぼりぐちのじぞうぼさつ

日和田山登り口の地蔵菩薩じぞうぼさつ

安永九年(1780年)

施主 高麗町 念佛講中ねんぶつこうちゅうとあります。日和田山登り口には薬師堂やくしどうが建っていたが焼失したと言われています。

しょじんじゃ

男坂おとこざか女坂おんなざか分岐ぶんきにある 「諸神社しょじんじゃ」文政十年 (1827年)

ふどうみょうおう

沢の岩場に祀られている「不動明王」 文政十年(1827年)

せんめんすい

「洗面水」文政六年(1822年)

「日和田山 御神前 奉納 水盤一基 高麗郡邑」 と書かれています。

歴史名勝No4「小瀬名の馬頭観音」

こぜなばとうかんのん

駒高こまだかから小瀬名こぜなに向かう山深い小道には似つかわしくないほど大きな馬頭観音ばとうかんのんが現れます。石積みの台座を合わせると高さ2メートル63センチメートルにもなります。嘉永元年(1848年)戌申八月吉日願主がんしゅ駒井経定と書かれています。

木材運搬の主役だった馬と通行の安全を願って建てられたのでしょう。

馬頭観音(ばとうかんのん)とは?

馬の頭をいただく観音で、怒った顔をしています。これは魔物を打ち砕き人々を救済するためです。馬が交通、運搬、労働に欠かせなくなると、次第に馬の供養くよう墓標的ぼひょうてきな性格を持つようになります。人々の生活の中で馬がいかに重要だったかがわかります。

駒井家に残る林業の記録

こまいけもんじょ

小瀬名の駒井家に伝わる文書には、立木たちきの買い付けから伐採ばっさい搬出はんしゅついかだを使った搬送などの記録が書かれており、日高の林業史りんぎょうしを考える上で貴重な古文書です。

デーダラボッチ伝説

昔、日和田山と多峯主山とうのすやまをのせた天秤棒てんびんぼうをかついだデーダラボッチが巾着田のところで一休みしようと天秤棒を下すとき、多峯主山は勢いよく下ろしたので形が崩れたが日和田山はゆっくり置いたので山の形が残ったという伝説があります。

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